就活失敗…その後。

2006年短大卒。売り手市場で就活失敗。その後の人生を綴ります。就活失敗で死ぬ前に読んでほしいブログです。

両親は…

転職活動の続きを書きたいところですが、

両親について書きたいことがあります。

まず、父。

私をお嬢様女子大に入れた瞬間からいいとこに就職して然るべきとこにお嫁に行かせられると思ってたはずです。

唯一一次面接に受かった会社があったのですが、父の知ってた会社らしく期待してたみたいです。

就職失敗したと言ったら『なんや?○○しか引っ掛からんかったんか』と呆れられました。

母。

結構色々な職種を経験した人なので『絶対に就職しなさい!』と言うような人ではありませんでした。

でも追い詰められていく娘に気付いていたと思います。

ある日泣きながら『わたし就職できないかも。ごめんなさい』と打ち明けたら

『次ダメなら諦めなさい。変なこと考えたらあかんよ』

と言われました。変なこと、自殺ってことだと思います。

この言葉にどれだけ救われたか…

もし就活生のお父さんお母さんが読んでいたらこういう一言もありですよ。死なれたら何にもならない!死んだら就職できない。←当たり前。

暗い転職活動

甘い気持ちでいました。

在職中に簿記の試験に受かったし(70点ちょうどやけど)約5年同じ会社で頑張ったんやから大丈夫だと。

まず最初に受けたのは精神病の患者さんに看護師を派遣するよくわからん会社でした。

『自己PRを』と新卒みたいな質問されて心の中で嘲笑しながらも明るい性格で…とかクソみたいなことしか答えられず、鋭い目をした変にプライドだけ高そうな髪の毛ツンツン若造面接官に『なんで新卒で就職しなかったんですか?』と痛いことを突かれ撃沈。

わが社は上場を目指してるのであなたみたいに『ちょっと…』とかいう言葉遣いは困るんですよ。とか言われてこっちが精神病になりそうになったわ…

でもなかなか怒ってくれるひとっていないしね。

ここから暗く長い転職活動が始まった…

遠距離通勤

大手の子会社で働いて二年ほど経ちました。

そこで何があったかというと


!!事務所の移転!!


40分→2時間になりました( ; ゜Д゜)

でも短大もそれくらいかけて通ってたし、家に帰っても特にやることもないし今辞めてもわたしなんて拾ってくれるところがない、という気持ちから通い続けてました。

毎日毎日山奥から海辺の町へ大移動。

6時に終わっても家につくのは8時過ぎ。ごはん食べてちょっとテレビ見てお風呂入ったら一日終わります。朝は6時半に家を出るので5時半起き。

電車のなかで暗いことばかり考えるようになりました。

こんな生活では彼氏もできない結婚もできない。
好きな人ができても休日は疲れてデートする気にもなれない。趣味もなにもする気になれない。
私の人生このままなのか?

最寄り駅についた頃には涙が溢れてきました。

いま思うとちょっと鬱っぽかったかも?

最寄り駅が一緒の先輩も同じような状態でわたしより先に退職することになりました。

それでも私は迷っていました。辞めても現状よりよくなる気がしない…

そこで見たのが

あしたのジョー(2011年公開)』

でした。

丹下のおっさんの

死ぬ気で掴みにいかねぇ奴に明日はこねぇんだよ!

的な台詞(正確には覚えてない)に感銘を受けて

私もジョーになることを決意。

夏の終わりには辞めたかったのですが引き留められ2011年の年末に退職しました。

【追記】2011年の3月には大きな震災がありましたね。
私も会社にいて遠距離通勤でついに頭の血管が切れたか!と思ったら地震でした。
これから日本はどうなるんだろう、と思いながら転職に不安を覚えましたが、死ぬ気で掴みにいくと決めたので揺らぎませんでした。


そして年明け転職活動を始めたのでした…

22歳まで…

前回の記事で長くは続かなかった…と書きましたが、

インストラクターのバイトを一年半くらい続けたとき、

ふと思うことがありました。

ここで正社員になりたいかな?

なれるかな?

この仕事ずっと続けたいかな?

・教室がどんどん閉まっていってること
・正社員の人は倒れたりして激務そう。
・持ち帰りの仕事も多い。

とかネガティブな気持ちもあったし、

私が考える"普通"を考えたとき大体の人が
大学を卒業して会社に入る22歳には
正社員で働きたかったし、親にも申し訳なかったので就職活動することにしました。

何にも知らないからバイトのくせに
ハローワークに行ったりしました(笑)
雇用保険払ったこともないし新卒でもないのに
くるなって思われたかも(笑)

あとは転職サイトで探したりしました。
怪しい会社もあったな…ウェブデザインしてほしい
と言われたけど断りました。できないし┐('~`;)┌

そんな中、またもやタウンワークで自宅から40分くらいで正社員の仕事が見つかりました。(某大企業の子会社)

面接に行くと係長に志望動機と長所と短所、当時面接初体験の主任に『健康ですか?』とだけ聞かれました。

それだけであっさり受かってしまいました…

10月末でバイトは辞めてもう次の日から新しい仕事でした。ブランク作ったらあかんと思ってね!

お給料はバイト並み。でも経理の経験なくても一から教えてくれました。

しかも同じ最寄り駅から来てる女性の先輩がいて、しかも共通の知人もいて縁を感じました!しかも似たような干物ぶり(笑)

縁のあるところとは特に頑張らなくても繋がるんだと思います。

半年くらいバイトで正社員の試験は一般常識の筆記のみでした。

給料安かったけどね!手取り13万ぐらいでした!

でも仕事は楽でした。

そんなお気楽OL生活が二年くらい続いてまた転機が…これは自分で起こした転機ではありません。

PCインストラクターのバイト

私の唯一と言ってもいい長所。

 

メシーン(機械)に強い♪キリッ

資格もいくつか持ってた。

 

それを行かせる仕事したいなぁ~

と思っていたところに在学中から気になっていた

PCインストラクターの求人が再び掲載されていました。

 

アパレルは日ごろの鬱屈した気持ちを

買い物で発散させようとしてるマイナスのオーラ

持った人が多い気がして苦手でした。

「いらっしゃいませぇぇ」が気持ち悪くていえなかった。

(アパレルの人ごめんなさい。いまはそんな風に思ってません)

 

でも教室って勉強したい!っていうプラスのオーラ持った人が

多いやろうし、元々学校とかで人と話すのは苦手ではなかったので、

やってみようと思いました。

 

結構20人くらい?ライバルがいたのに受かってしまいましたw

 

そこに入社するともう、天国のようでした。

室長は優しいし、同僚も穏やかな方が多かったです。

女性ばかりでしたが、ぎすぎすした人間関係もなく

親友もできました。

 

何より、おじいちゃんおばあちゃんくらいの年齢の人が

私のような人間を「先生」と呼んでくださるのです!

ほんま、勘違いしそうになります。

 

そんな日々(猶予期間)も長くは続かなかった・・・

 

続きは明日以降にします。

 

おやすみなさいませ。

 

アパレルのバイト

ついに既卒になったわたし。

 

なんかもうやけくそでなんでもいいからバイトくらいしてみよ~

ってことで(※あの、今更ですけどほんまだめな人間なんで二十歳になるまで

まともなバイト経験がなかった。すぐ辞めたりね。)

 

兄からの薦めでアパレルでバイトしてみることにしました。

イ○キンです。

いま思うとなぜ受かったのか・・・

 

はい、厳しかったです。

めっさ体育会系。

 

言われたのは

・思いやりがない(初日店舗見学したとき先輩がハンガー的なのを下に落として下手に触って壊すのいややな~と思いながら静観してたらその態度がよくなかったらしい。)

・聞き返すな!

・(お店の掃除をしていたら)店の名を汚さないで!←え、なにもしてないのに・・・

・え、化粧直しもう終わり??←メイクの仕方をわかってなかった

・お昼ごはんそれだけ??←店長が怖くて食欲なかった。

・お昼行くとき私にも挨拶しなさい

・こっちを見るな。

・辞めさせません。

 

もう毎日毎日辛くて辛くて、手帳にその日の時給×働いた時間書いて

耐えてましたが二ヶ月でギブ。

続けられないと思ったし、アパレル興味なかったわ←

卒業式の日

まぁ、まず筆記が通らなかったよね。

算数苦手なんですよ。(※今の仕事経理です)

 

何がしたいとかそんなんないから

一次面接も通らない。

 

私よりあとに就活はじめた子たちがどんどん決まっていく・・・

 ダメ人間仲間だと思っていた子もなんか学部推薦みたいなので

一回面接しただけで決めやがったw

 

その子に「ぷーでも働きやぁ?ニヤ」

とかいやみ言われてさ。

 

中学時代自転車泥棒してた元ヤン女もあっさり決めやがった。

 

その子たちとの飲み会で泣いちゃった。

 

いまになったらわかるけど10月の内定式??に決まってなかったらほぼ

あかんのね。

 

でも卒業式まではがんばった。そういうもんだと思ってたし、

後悔したくなかったから。

 

卒業式の日は午後から某百貨店の契約社員の面接でした。

 

式が終わってクラスひとりひとりに卒業証書くれるんやけど

面接を控えてる私は一番最初にもらいました。

 

両親は能天気に写真なんか撮って「よかったね」

なんて言ってたけどこんなに不名誉なことはなかった。

 

そのあとの面接でもう、堪えきれなくなって

泣きながら面接を受けました。

鼻水ささこでした。